張 玉寧(中国語: 张玉宁、Zhāng Yùníng、1977年5月25日 - )は、中華人民共和国の元サッカー選手、サッカー指導者。元中華人民共和国代表。選手時代のポジションはFW。
クラブ歴
1994年にプロ化初年の遼寧足球倶楽部のトップチームに昇格。しかし出場機会を得られないまま1995年に3部の北京首鋼にレンタル移籍した。その後遼寧に復帰し、1997年のクラブ得点王に輝いた。翌1998年にも活躍し遼寧の1部昇格に貢献した。1999年も1部で活躍し、クラブを好成績に導いたがあと一歩の所でリーグ優勝を逃した。
若い上に背も高く、非常に効果的なセンターフォワードであったため、新聞は彼を「中国のベッカム」と称したが、彼の知名度が一番高まったのは2000年4月26日に事故を起こした時である。彼はチームメイトらを連れて飲酒運転をしており事故を引き起こした。これによって彼自身も軽い怪我を負ったが、同乗していたチームメイトの曲楽恒が下半身麻痺の後遺症を引き起こした。その後、曲は裁判を起こし2004年11月22日に張の234万元の支払いが確定し、その後公式に謝罪した。また、その補償金が高過ぎるとの評価もあったが、彼は上訴しなかった。
2001年11月にはレンタル移籍でレスター・シティFCが獲得に興味を示していたが、代表でレギュラー出場していないために労働許可が下りず断念した。その後2004年11月にもレスター・シティはボブ・ホートンが彼の獲得に興味を示したが、労働許可の問題からまたも移籍はならなかった。
その前年の2003年には遼寧から上海申花に移籍し、リーグタイトルを獲得した。しかしこのタイトルは2013年に八百長が発覚したために剥奪された。
その後、上海申花ではあまり活躍できず、オーストラリアのクイーンズランド・ロアーFCにレンタル移籍、フランク・ファリーナ監督の下でプレイした。しかし出場は僅か6試合に止まった上に1日1箱のヘビースモーカーからも脱却できなかった。これによって上海申花は2008年に古巣の遼寧宏運に60万元で売却したが、遼寧宏運でも出場機会は得られずに同シーズンを以て引退した。
代表歴
2000年に起こした曲との問題の傍ら、張は怪我から回復し、2001年1月17日にエジプト代表との親善試合で代表初出場を飾った。
同年に行われたキングスカップ2001では5得点をあげ得点王に輝いたが、決勝戦で敗れて代表自体は準優勝に終わった。
個人成績
クラブ
代表
代表での得点一覧
タイトル
選手
クラブ
- 遼寧
- 中国サッカー・スーパーカップ: 1999
- 上海申花
- 中国甲Aリーグ: 2003(八百長により後に抹消)
個人
- 中国甲Bリーグ得点王: 1998
- 中国FAカップ得点王: 1998
- キングスカップ得点王: 2001
参考文献
外部リンク
- Player profile with Queensland Roar FC
- 張玉寧 - National-Football-Teams.com