長助法親王(ちょうじょほっしんのう、元応2年(1320年)- 延文6年/正平16年2月8日(1361年3月15日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての法親王。

経歴

父は後伏見天皇。母は従三位正親町(藤原)守子(権大納言正親町実明女)。安仁親王助有法親王とも称される。光厳天皇・光明天皇らの異母兄弟で、同母兄弟に承胤法親王・亮性法親王・璜子内親王(章徳門院)がいた。

近江国園城寺の尊悟入道親王に師事したのち、豊前守護・宇都宮頼房(宇都宮通房の子)に招かれ如法寺に移った。のち霊仙寺へと移り、英彦山座主となった。正室は宇都宮頼綱の姪で、英彦山神宮社家・高千穂家の祖。

脚注


フランシスコ教皇(法王) 写真 特集

2012年07月05日朝ごろに投稿されたabzouさんのお題 ボケて(bokete)

親王殿下 ToMuCo Tokyo Museum Collection

フランシスコ法王を枢機卿が批判、中国との合意で真の教会が「消滅」の恐れ 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

親王単品 ch9w