安田屋本店(やすだやほんてん)は、静岡県静岡市葵区横内町にある江戸時代に創業のそば屋。
概要
安田家は先祖代々にわたり、県道静岡清水線(現・北街道)に面して晒屋を商いとし、江戸時代当時は、この北街道は清水港から駿府城へ物資を運ぶための運河で、その川の流れで木綿を晒していた。1866年(慶応2年)、晒屋から転職して、駿府城の近くにそば屋「安田屋本店」を開業したのが始まり。
1995年(平成7年)、城下町の商家を再現した蔵造りの店舗を新築し、「静岡市民景観賞」受賞した。また、1999年(平成11年)、四代目・安田貞男は、日本の蕎麦業界で初めての「現代の名工」を受章した。
沿革
安田家
- 1866年(慶応2年)、先祖は代々が晒屋だったが、転業して駿府城の近くでそば屋を開業。
- 初代・安田角左衛門 - はじめののれんは「さらし屋」であったが、いつしか「安田屋のそば」と言われるようになり、通称がそのまま「安田屋」というのれんになる。
- 二代目・安田作兵衛 - 明治の終わり頃に信州の柏原にそばを栽培した。県のそば屋の組合を作った。1932年(昭和7年)に亡くなる。
- 三代目・安田清太郎 - 戦災にもあい、安田家で一番苦労した人である。
- 四代目・安田貞男 - 1923年(大正12年)、現在地の晒屋の家に生まれる。1941年(昭和16年)、静岡県立静岡商業学校卒業後、東京茅場町の「長寿庵」で修行。1944年(昭和19年)、2年間の兵役後、各地のそば店を研究し、実家の「安田屋本店」に従事。1977年(昭和52年)、静岡県知事表彰授賞。1979年(昭和54年)、厚生大臣表彰受章。1986年(昭和61年)、藍綬褒章受章。1994年(平成6年)3月、隣家の出火により店舗が全焼。1995年(平成7年)9月、店舗新築、城下町の商家を再現した蔵造りで、「静岡市民景観賞」受賞。1996年(平成8年)、勲五等双光旭日章受章。1999年(平成11年)、労働省卓越技能章(「現代の名工」)受章、蕎麦業界で初めての受章。2016年(平成28年)2月、亡くなる。
- 五代目・安田裕 - 暖簾を受継いでいる。
現代の名工
- 第ⅤⅢ部門 その他の関係 - そば料理人 静岡県 安田貞男
- 手打ちそばの製造に秀で、特にそば粉に動、植、鉱物の種々の食材を打ち込んで、そば切りにした「変り蕎麦」に優れているほか、 一般消費者を対象とした講習会の開催等にも努めた。
駿府蕎麦の伝統
- 静岡は太平洋に面した暖かい所と連想されるが、隣県の山梨県や長野県と続く山岳地帯で、昔の静岡は蕎麦の名産地だった。静岡そばの特徴は、昔は京都風の薄味の出汁だったが、徳川慶喜が駿府に来た頃から江戸風に変わった。その一方で、揚げ物などは関西風が一部に見られる。しかし、調理法などは基本的に江戸時代のまま残されている。
変わり蕎麦
- 変わり蕎麦は、季節感と旬の香りを生かす、今まで創作した変わり蕎麦
- 野菜 - うど切り、生姜切り、人参切り、青ねぎ切り
- 魚 - 鯛切り、鮎切り、鰹切り
- 果物 - 林檎切り、さくらんぼ切り、柿切り
ギャラリー
脚注
参考文献
- 毎日新聞社、1983年。
- 『月刊日本』、「戸塚進也のこの人と語りたい(51)「駿府蕎麦」の伝統を未来に ゲスト 「安田屋本店」4代目店主 (社)日本麺類業団体連合会常任相談役・安田貞男」、著者 戸塚進也・安田貞男、東京 K&Kプレス、2002年3月、2021年7月7日閲覧
- 「静岡商工会議所 ビジネス交流」 - しずおか味な店 安田屋本店、2010年11月号、2016年5月5日閲覧
- 「静岡新聞SBS」 - 安田屋本店、2016年5月5日閲覧
著書
- 『駿府手打蕎麦』、味の匠シリーズ、安田貞男著、調理栄養教育公社、2001年、2016年5月5日閲覧
関連項目
外部リンク
- 厚生労働省 現代の名工
- 木鉢会 静岡 安田屋本店