中村 次喜蔵(なかむら じきぞう、1889年(明治22年)4月18日 - 1945年(昭和20年)8月18日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級
経歴
1889年(明治22年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第24期卒業。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍歩兵大佐に進級し、陸軍予科士官学校学生隊長に就任した。1939年(昭和14年)に歩兵第124連隊長に転じ、日中戦争に出動。南寧で包囲された第5師団の救援や、翁英作戦、賓陽作戦、良口作戦などを連戦した。1940年(昭和15年)12月に新設された奉天陸軍予備士官学校長に就任し、1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級した。
同年8月奉天陸軍予備士官学校が廃止されると、久留米第1陸軍予備士官学校長に転じた。1943年(昭和18年)に独立混成第19旅団長に就任し、中国戦線に復帰、汕頭周辺の警備に当たり、1944年(昭和19年)6月27日に陸軍中将に進級した。7月14日に第112師団長に親補され、朝鮮国境付近に布陣し、ソ満国境の守備に当たった。8月9日のソ連侵攻を受け、防衛陣地を固守し、8月17日まで戦闘が続いた。8月18日に第1方面軍の命により停戦に応じ、同日琿春で自決した。自決の状況、理由は不明である。
栄典
- 勲章
- 1942年(昭和17年)9月8日 - 勲二等瑞宝章
脚注
参考文献
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 伊藤禎 著『大東亜戦争責任を取って自決した陸軍将官26人列伝』展望社、2018年。ISBN 4885463513。