松平 定重(まつだいら さだしげ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。伊勢国桑名藩主、のち越後国高田藩初代藩主。定綱系久松松平家3代。官位は従五位下・越中守。
生涯
伊予国松山藩主・松平定頼の三男として誕生。
伊勢桑名藩の先代藩主・松平定良の養嗣子となり、明暦3年(1657年)に桑名藩主となる。宝永7年(1710年)5月、郡代・野村増右衛門を経理上の不手際により打ち首にし、増右衛門の親族44人と関係者の役人370人を死刑、追放、罷免などの処分にした事件が発生する(野村騒動)。その重すぎる処分が幕府の不興を買い、閏8月15日に越後高田藩11万3000石へ移封された。正徳2年(1712年)9月7日、五男・定逵に家督を譲って隠居し、享保2年(1717年)10月27日に74歳で死去した。
系譜
父母
- 松平定頼(実父)
- 養仙院 - 京極高広の娘(実母)
- 松平定良(養父)
正室、継室
- 松姫 - 前田利常の七女(正室)
- 駒井氏(継室)
側室
- 笹尾氏
- 井上氏
子女
- 松平定富(四男)
- 松平定逵(五男)生母は駒井氏(継室)
- 松平定儀(六男)生母は笹尾氏(側室)
- 水野忠定(九男)生母は井上氏(側室)
- 柳生俊平(十一男)
- 松平定利(十二男)
- 松平定弘
- 福姫 - 島津吉貴正室
- 松平忠雅室
- 松平宗弥正室 - のち京極高栄継室
養女
- 伊与 - 桂光院、五島盛暢継室のち本多助芳正室