ミスターシクレノン(欧字名:Mr.Cyclennon、1985年4月15日 - 2012年2月19日)は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1989年の鳴尾記念、1992年のダイヤモンドステークス。

半弟に、中央競馬における最高齢出走記録を持つミスタートウジンがいる。

競走馬時代

3歳時(1987年)

1987年9月12日、阪神競馬場第6競走の3歳新馬戦で河内洋を鞍上にデビューし、2着に5馬身も付ける圧勝で1番人気に応えた。続く野地菊賞(OP)も制し、1番人気でデイリー杯3歳ステークスへ出走したが、ここでは1着に1秒近く離された7着に沈み、阪神3歳ステークスでも3番人気を裏切り8着と惨敗し3歳シーズンを終える。

4歳時(1988年)

1988年はシンザン記念より始動したもののラガーブラックの8着。その後8ヶ月ほど休養し、STV杯(900万下)、京都新聞杯と2戦して掲示板を外すが、続く衣笠特別(900万下)で久々の勝利を掴んだ。この後翌月の鳴尾記念で5着となり、この年のレースを終えた。

5歳時(1989年)

1989年は初戦のスポーツニッポン賞金杯、続く京都記念で連続で2着し、前年の不振から変わって好走を見せた。その後の中京記念では11着と惨敗してしまうが、16番人気の低評価で挑んだ天皇賞・春ではイナリワンに5馬身離されたものの2着と大健闘。さらに宝塚記念でも3着となった。この後は3ヶ月の休養を経てUHB杯4着、京都大賞典2着と善戦。天皇賞・秋は9着に敗れたものの、続く鳴尾記念では1番人気に応え快勝し、重賞初制覇を果たした。その後は有馬記念に出走するも13着と惨敗した。

6歳時(1990年)

1990年は日経新春杯より始動し5着と掲示板を確保。続く阪神大賞典では2着、さらに天皇賞・春でも5着と好走した。しかし、その後は年末の有馬記念まで全休となり、有馬記念では8着であった。

7歳時(1991年)

7歳初戦は日経新春杯、ここでは2着となり、続く京都記念でも5着。その後の宝塚記念では6着であった。秋シーズンは京都大賞典より始動し4着。続く天皇賞・秋では半弟ミスタートウジンとの兄弟での出走が実現し、弟に先着し11着(ミスタートウジンは14着)。その後アルゼンチン共和国杯では7着を経て鳴尾記念では2着と好走した。

8歳時(1992年)

この年も日経新春杯より始動するも6着。その後、ダイヤモンドステークスに6番人気で出走。テン乗りの柴田善臣を鞍上に、ここで8歳馬ながら激走し、2着を3馬身以上離した圧勝で重賞2勝目を挙げた。しかし、これがラストランとなり現役を引退することとなった。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチに基づく。

種牡馬時代

引退後は種牡馬入りしたものの、中央競馬で重賞を勝つような活躍を見せる産駒は現れず、1999年9月9日には用途変更となり種牡馬を引退した。その後名馬のふるさとステーションに移動したが、同地が経営難により閉鎖されると、新設された新ひだか町のローリング・エッグス・クラブにタケノハナミやシンチェストとともに移動し、そこで繋養された。2004年より引退名馬繋養展示事業の助成対象馬となる。

2012年2月頃より体調を崩し始め、身体の痙攣なども見られたため2月19日になって安楽死が取られることとなったが、同日16時40分、獣医師が注射を打つ直前に息を引き取った。27歳没。4月28日には、前年11月13日に死亡したライフタテヤマとの合同のお別れ会が、その後桜舞馬公園で追悼式が行われた。

主な産駒

  • 1994年産
    • シロヤマスパーク(若草賞)

血統表


脚注

注釈

出典

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ

あらためてハンデ重賞の59㌔以上を検証して分かったこと 日刊ゲンダイ競馬

ミスターシクレノン 馬・牧場・施設検索 競走馬のふるさと案内所

「ミスティックルーン強化パック」発売! ラグマス(ラグナロク マスターズ)公式サイト

ミスター YouTube

Mr.ミスター 本日も晴天なり。