高 潤(こう じゅん、546年 - 575年)は、中国の北斉の皇族。馮翊王。高歓の十四男。母は鄭大車。字は子沢。

経歴

幼いころ高歓に「わが家の千里駒なり」と評された。天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高潤は馮翊王に封ぜられた。まもなく侍中・開府儀同三司に任ぜられた。東北道大行台尚書左僕射・定州刺史となった。刺史のまま都督定瀛幽南北営安平東燕八州諸軍事を加えられた。河清元年(562年)1月、尚書左僕射となった。高潤の容姿は美しく、14、5歳で母の鄭妃と同衾し、不倫のことがあったと噂された。高潤は成長すると官吏の仕事を習いおぼえて、不正の摘発に力をそそいだ。王迴洛と独孤枝が官田を侵奪して賄賂を受けた事件を摘発して、武成帝に賞賛された。太子少師となり、録尚書事を兼ねた。河清3年(564年)3月、司空に上った。天統元年(565年)4月、司空に転じた。天統2年(566年)10月、太尉に転じた。天統3年(567年)8月、大司馬。入朝して司州牧となった。天統5年(569年)11月、太保。河南道行台録尚書事を歴任した。武平2年(571年)9月、太師。武平3年(572年)8月、太尉となった。太宰をつとめ、再び定州刺史となった。武平6年(575年)8月22日、病が高じて州館で死去した。享年は30。仮黄鉞・左丞相の位を追贈された。諡は文昭といった。武平7年(576年)2月11日、鄴城の西北30里の釜水の南に葬られた。

子の高茂徳が後を嗣いだ。

脚注

伝記資料

  • 『北斉書』巻10 列伝第2
  • 『北史』巻51 列伝第39
  • 斉故侍中仮黄鉞左丞相文昭王墓銘(高潤墓誌)

参考文献

  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。 
  • 趙超『漢魏南北朝墓誌彙編』天津古籍出版社、2008年。ISBN 978-7-80696-503-0。 

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