野澤 亘伸(のざわ ひろのぶ、1968年9月21日 - )は、日本の男性カメラマン、タレント、ライター。

経歴

カメラマン

上智大学法学部法律学科卒業後、日本写真芸術専門学校夜間部報道芸術科卒業。1993年から写真週刊誌『FLASH』の専属として報道、スポーツ、芸能などを中心に活動を開始する。1995年、カメラマンとして駆け出しのときに、地下鉄サリン事件に遭遇し、被害にあう。サリンが置かれた車両に乗り合わせ、瞳孔の縮小、激しい頭痛、吐き気などに襲われる。幸いにも半年後には、日常生活が普通にできるまでに回復したが、現場にいながら事件取材を出来なかったことに、後々まで負い目を感じたという。後にFLASHの年間スクープ賞を3度受賞するが、それはあのときの自分が背中を押したと語っている。

2000年から日本ユニセフ協会の現地視察に同行して、取材。それらの取材活動を2019年に『この世界を知るための大事な質問』(宝島社)にまとめた。2002年からタレントの写真集、グラビア撮影を開始した。2008年から約3年間で熊田曜子の写真集を4冊(いずれも晋遊舎から)撮っている。他にタレント写真集を約60冊撮影。2011年から2020年現在まで続けて『週刊実話』の表紙カメラマンを担当している。東日本大震災発生当日はテレビ収録をキャンセルし、丸1日かけて南三陸町に入り取材を行った。

タレント

2008年に、バラエティ番組『ありえへん∞世界』でテレビ番組初出演。2010年に『スター☆ドラフト会議』パイロット版、『行列のできる法律相談所』に出演して注目を浴び、2011年に太田プロダクションと契約を結んで、タレントとして本格的に活動を始めた。

趣味

昆虫観察が趣味で、南米や東南アジアのジャングルに数週間、野宿して撮影に出かけている。著書に『美しすぎるカブトムシ図鑑』(双葉社刊)がある他、2017年4月から下野新聞に『すごいぜ昆虫』を2年間連載した。

将棋はアマ有段者で、将棋界を取材した記事を雑誌に発表している。2018年に『師弟〜棋士たち 魂の伝承〜』(光文社刊)を上梓した。同作で第31回将棋ペンクラブ大賞(文芸部門)を受賞。

人物

グラビア撮影では、「いくぞ〜」との雄叫びと共に、次々に服を脱ぎ捨て、最終的にはブーメランパンツに靴下のみという格好になる。また、「ナイスグッド」などと声を掛けながら撮影を進める。この事から、野澤は「海パンカメラマン」の異名を付けられた。熊田曜子や原幹恵といったグラビアアイドルからの信頼が厚い。

グラビアを撮影することになったのは、FLASHでスクープを撮ったご褒美として、水着キャンペーンガールを撮影したのがきっかけだった。数回のグラビア撮影の後に、いきなり写真集の話が舞い込み、タレント撮影の面白さに魅了されたという。ただ、最初はコミュニケーションが苦手で、柔らかい表情が撮れないことに悩む。そこで開き直ったのが、海パンスタイルだった。

初めて海パン一丁になったのは2006年で、15歳のジュニアアイドルの撮影の時だった。海パン一丁になることでお互いの心の装飾を取り払い、同じ水着姿のモデルの心に深く入り込むことができるのだという。グラビアの仕事が中心だった頃は、月の半分が海外ロケで、1日中海パンで撮影していた。国内のスタジオ撮影のとき、服を着て撮影していたら、モデルから「私ではテンションが上がらないのか」と言われてしまった。それで南国のビーチでなくても、海パンで撮影することが多くなったという。

海パンカメラマンという「色モノ」的なイメージから、軟派な印象があるが、本来は報道カメラマンである。大学時代は、体育会空手部主将を務めていた。子どもの頃からネイチャー系のテレビ番組が好きで、昆虫や動物を撮影することに魅かれていたという。

主な作品

写真集

著書

  • 美しすぎるカブトムシ図鑑 野澤 亘伸 (著), オフィスJB (編集) 双葉社スーパームック 2014/6/5
  • 師弟 (棋士たち 魂の伝承) 光文社 2021/2/9
  • 絆―棋士たち 師弟の物語 マイナビ出版 2021/3/11
  • 棋士の瞬き(写真集) マイナビ出版 2022/11/29

DVD

以下、フォトグラファーとして参加した作品も含む。

出典

外部リンク

  • 太田プロダクション 野澤亘伸(日本語)

野澤亘伸の出演時間

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