相模・武蔵地震(さがみむさしじしん)は平安時代前期のユリウス暦878年10月28日(グレゴリオ暦11月1日)(元慶2年9月29日)に発生した地震。「元慶地震」、「元慶の関東地震」とも。宇津による推定マグニチュードは7.4で、現在の関東地方南部に大きな被害をもたらした。また、松田(1989)らは、M7.0 - 7.5 と推定している。
概要
当時の歴史書『日本三代実録』には、
という記述がある。この日平安京で有感地震があったこと、同時刻に関東諸国(近畿・中部・関東)で大地震があり、相模・武蔵で最も被害が大きく、その後5~6日間余震活動が活発であったこと、公私の建物が多数倒壊し、土地も陥没して街道の往来が出来なくなり、公民が多数圧死したことが窺える。
また、この地震から約3年後には、
という記述がある。この記事では、元慶3年9月29日の地震で相模国分寺の本尊など仏像3体が破損し、その後失火し焼失したことから、国分寺の修造を相模国が申請し、貞観十五年に漢河寺へ移転していた国分尼寺を元の位置への再移転申請するとともに、これを許可している。元慶3年9月29日に地震記録はないので、元慶3年ではなく元慶2年の誤記と推定され、878年相模・武蔵地震の被災記録とみられる。
地震考古学に基づく震源断層は、5世紀以降18世紀以前に最新活動が見られる伊勢原断層、或いは9世紀ごろに相模湾沿岸で急激な隆起が発生したと推定されることから相模トラフのプレート境界断層のどちらか若しくは両方と推定されている。
その他
- 本地震の約9年前、869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日)に日本海溝付近を震源域とする貞観地震が発生した。
- 本地震の約9年後、887年8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日)には南海トラフ付近を震源域とする仁和地震が発生した。
- また、本地震から60年前にあたる818年(弘仁9年)7月には上野国、武蔵国など関東内陸を中心とした弘仁地震が発生し、液状化を伴う大きな被害が出た(『類聚国史』)。
- 伊勢原断層の活動は、過去少なくとも 5,000年以上の休止期間を経てからの活動であった。
出典
書き下し文
参考文献
- 松田時彦, 由井将雄, 松島義章, 今永勇, 平田大二, 東郷正美, 鹿島薫, 松原彰子, 中井信之, 中村俊夫, 松岡数充「伊勢原断層(神奈川県)の試錐による地下調査 : 過去約7000年間の堆積環境と元慶2年地震の変位」『東京大学地震研究所彙報』第63巻第2号、東京大学地震研究所、1988年、145-182頁。
- 日本三代実録 朝日新聞社本
- “元慶2年(878)の相模・武蔵地震(岡崎の平野の地震断層)”. 平塚市博物館 (1998年5月). 2022年3月31日閲覧。