金輪王寺(きんりんのうじ)は、北海道亀田郡七飯町大川392にある寺院である。
本尊
本 尊 蔵王権現 本地仏 金輪王
沿革
1333年大政奉還を達成するも失脚。1336年(延元元年/建武3年)、吉野を頼っていた後醍醐天皇は實城寺の寺号改め金輪王寺を南朝皇宮と定め、天皇親政を掲げ朝廷を開いた。京都奪還を目指すも、「玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋マルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望マン」と遺言し1339年(延元4年/暦応2年)8月15日金輪王寺で崩御した。
江戸時代になると、徳川家康は1614年(慶長19年)に、吉野の要害と寺院勢力旺盛なることを勘案し、南光坊天海に命じ金輪王寺を元の實城寺に改めさせ金輪王寺寺号を没収。勢力ごと日光に移し金を外して輪王寺(宮門跡)としたため、金輪王寺は歴史の影に埋没した。
幕末(安政6年)になると、輪王寺の警護(日光勤番)の任に就いていた八王子千人同心が、北方防備と開拓のため箱館(七重大川)に入植し一大勢力を築いた。その一人宮崎重兵衛の子孫・松太郎・慎太郎が同領地に戦前まで所有していた日本庭園・静観園を、戦後は天海の子孫が所有していた。
2006年日本庭園静観園を村口順健が譲り受け、金輪王寺を建立した。
参考文献
- 中岡清一著/昭和12年7月25日積善館発行/改定・大塔宮之吉野城/p.712-716/文部省優良推薦・官報昭和13年12月28日第3596号参照
- 七飯町歴史館/宮崎旅館・大沼観光の先駆け
外部リンク
- 公式ウェブサイト