細川 興建(ほそかわ おきたつ)は、江戸時代後期の大名。常陸国谷田部藩8代藩主。官位は従五位下・長門守。
生涯
寛政10年(1798年)11月21日、有馬頼端(筑後国久留米藩8代藩主・有馬頼貴の長男)の次男として誕生した。常陸谷田部藩7代藩主・細川興徳の婿養子となり、天保8年(1837年)の興徳の死去により家督を継いだ。
養父・興徳の遺志を受け継いで、二宮尊徳の尊徳仕法と藩医・中村勧農衛を中心とした藩政改革を行ない、緊縮財政政策、徹底した倹約、村落の再建などを推し進めて、いくらかは成功を収めたといわれる。嘉永5年(1852年)12月16日、家督を長男の興貫に譲って隠居する。
安政3年(1855年)12月16日に死去した。享年58。
系譜
- 父:有馬頼端(1779-1805)
- 母:竹内氏
- 養父:細川興徳(1759-1837)
- 側室
- 庶男子:有馬重弘(1826-?) - 有馬陣次の養子
- 正室:鐸(1810-?) - 細川興徳の養女、細川興祥の娘
- 長女:沢(1831-1831)
- 長男:細川興貫(1833-1907)
- 二女:細川立則正室
- 三女:磋久子(1834-1905) - 南部信民継室
- 四女:行子(1835-1865) - 松浦脩正室
- 五女:圭(1841-1910)- 赤松範静室
- 二男:加藤泰壮(1845-1904) - 宣二郎。加藤平内挙直の養子
- 六女:ツチ - 松井盈之室
- 七女:配(1849-1867) - 小笠原政徳室
- 三男:十三郎
- 八女:名前不明 - 夭折