大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手(内野手)。

来歴

プロ入り前

足利市立小俣小学校で野球を始め、足利市大会で優勝。足利市立小俣小学校では県大会に出場した。 群馬県立前橋工業高等学校に進学後は2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で三上真司、東出輝裕を擁する敦賀気比高等学校に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で川口知哉の平安高等学校に敗退。甲子園通算31打数9安打.290を記録。

在学中は大型内野手として高校通算20本塁打を記録。また高校日本選抜にも選ばれるなど、ドラフト指名も噂されたが東北福祉大学に進学することとなった。

同大学では1年春からレギュラーとして活躍し、その年には日米大学野球代表にも選出された。上級生からは4番を打ち、3年の大学選手権では初戦で相木崇(福岡大)から本塁打を放つなどの活躍で準優勝。大学通算打率.326、20本塁打を記録、最多打点、本塁打各1回、ベストナイン4回受賞。1999年にはシドニー五輪代表の候補にも選出された。

広島時代もチームメイトの石原慶幸は同大学の同期であった。

プロ入り後

2001年のドラフト6巡目指名で読売ジャイアンツに入団。

2004年には一軍の試合に出場し、東京ドームで坂元弥太郎からプロ初ホームランを放つも、その後は一軍出場のないまま、2006年10月2日巨人より戦力外通告を受けた。その後広島の入団テストに合格し入団。

2007年は自身初の開幕一軍メンバーに入り、16試合に出場したが、打率は.150と低迷した。

2008年は一軍出場がなく、10月に球団より戦力外通告を受ける。現役続行を希望し同年の12球団合同トライアウトに参加するも、獲得する球団は現れず現役引退を決意。今後は、パソコンを勉強し、野球に関する事業を始める予定と語った。

引退後

2009年1月、元プロ野球選手の小早川幸二が代表取締役を務める通信企業会社「K-アシスト」に入社した。

2012年10月1日、物流・倉庫業のダイワコーポレーションへ転職。現在は同社の横浜本牧営業所でサブリーダーを務めている。

2020年6月27日、古巣の巨人とOBスカウトとしての契約を締結。神奈川エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う。

人物

広島時代は、移籍に伴い妻子を東京に残して単身赴任生活をしていた。

詳細情報

年度別打撃成績

記録

  • 初出場:2002年8月20日、対横浜ベイスターズ19回戦(東京ドーム)、4回裏に宮﨑一彰の代打として出場
  • 初打席:同上、4回裏に稲嶺茂夫から一塁ゴロ
  • 初先発出場:2004年4月25日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、8番・遊撃手で先発出場
  • 初安打・初打点:同上、2回表に下柳剛から左越先制適時二塁打
  • 初本塁打:2004年5月16日、対ヤクルトスワローズ8回戦(東京ドーム)、8回裏に坂元弥太郎から左越ソロ

背番号

  • 53 (2002年 - 2006年)
  • 52 (2007年 - 2008年)

脚注

関連項目

  • 栃木県出身の人物一覧
  • 東北福祉大学の人物一覧
  • 読売ジャイアンツの選手一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧

外部リンク

  • 個人年度別成績 大須賀允 - NPB.jp 日本野球機構
  • 大須賀允 (100005181700637) - Facebook

大須賀崇の経歴がすごい!wikiプロフィールについても mum’s log

大須賀純 JapaneseClass.jp

駿河屋 B07W163[白]:大須賀 允(ベースボールヒーローズ)

大須賀 裕子

大須賀望選手 株式会社マイナビ