酒井 忠言(さかい ただのぶ)は、江戸時代中期の大名。越前敦賀藩の第5代藩主。官位は従五位下・相模守。忠稠系小浜藩酒井家別家5代。

略歴

第4代藩主・酒井忠香の四男として誕生した。長兄・忠恕が夭逝、次兄・忠節が病弱のため廃嫡、三兄(水谷勝政)も水谷勝久の養子に出されたため、安永3年(1774年)5月、父から後継者に指名された。天明8年(1788年)8月20日、父の隠居により家督を譲られる。大番頭などを務めた。

寛政9年(1797年)11月25日、家督を長男の忠藎に譲って隠居し、寛政11年(1799年)2月22日、44歳で死去した。

系譜

父母

  • 酒井忠香(父)
  • 水野忠定の娘(母)

正室

  • 幸姫 - 三浦明次の娘

子女

  • 酒井忠藎(長男) 生母は幸姫
  • 酒井忠邁(三男)
  • 戸田光陽正室

酒井氏(清和源氏・義国流)・忠稠流の系図 ねっこのえくり

酒井忠世_百度百科

酒井忠次〜徳川四天王の筆頭をわかりやすく解説|城写真の日本の旅侍

酒井忠次(手游《征服与霸业》中的武将)_百度百科

徳川家光からの信頼大!酒井忠勝(さかいただかつ)の知られざる逸話をご紹介 歴史・文化 Japaaan