アバード・モンカーAvard Moncur、1978年11月2日 ‐ )は、バハマ・ナッソー出身で短距離走が専門の元陸上競技選手。400mで44秒45(バハマ歴代3位)の自己ベストを持つ元バハマ記録保持者。400mでは2001年エドモントン世界選手権でバハマ勢初の金メダルを獲得。4×400mリレーでは2001年エドモントン世界選手権の金メダルをはじめ、オリンピックと世界選手権を通じて6つのメダルを獲得した。

経歴

2000年

6月3日、全米学生選手権(NCAA選手権)の男子400mで44秒72のバハマ記録(当時)を樹立し、1996年にトロイ・マッキントッシュがマークした44秒73を0秒01更新した。その後、モンカーは自身のバハマ記録を44秒45まで縮めたが、この記録は2008年6月6日にクリス・ブラウンによって更新された。

9月、シドニーオリンピックの男子400mと4×400mリレーに出場。バハマ記録保持者として臨んだ400mは準決勝まで進出したものの、準決勝では45秒18の組5着に終わり、決勝に進出できる組4着とは0秒01差で惜しくも決勝進出を逃した。4×400mリレーでは決勝でバハマチームの1走を務め、2分59秒23をマークしての4位(当時)に貢献した。その後、優勝したアメリカはメダルを剥奪され、バハマは繰り上がりで銅メダルを獲得した。

2001年

6月、全米学生選手権の男子400mを44秒84で制して2連覇を達成した。

8月、エドモントン世界選手権の男子400mと4×400mリレーに出場。400mでは7月に44秒45のバハマ記録を樹立した勢いそのままに、予選を唯一の44秒台となる44秒88で突破すると、準決勝も44秒台の44秒89で突破し、初出場ながら決勝に進出した。決勝では今大会で一番良いタイムの44秒64をマークし、インゴ・シュルツ(44秒87)やグレッグ・ホートン(44秒98)らを破り優勝した。この種目でバハマ人がメダルを獲得したのはこの時が初めてで、金メダル獲得は男女通じてバハマ勢初の快挙だった。4×400mリレーでは決勝でバハマチームの1走を務めると、2分58秒19のバハマ記録(当時)を樹立しての2位(当時)に貢献し、世界選手権のリレー種目でバハマ男子勢初のメダルを獲得した。その後、優勝したアメリカはメダルを剥奪され、バハマは繰り上がりで金メダルを獲得した。

2003年

8月、パリ世界選手権の男子400mと4×400mリレーに出場。前回大会の金メダリストとして臨んだ400mは、準決勝で45秒65の組6着に終わり敗退した。4×400mリレーでは決勝でバハマチームの1走を務めると、3分00秒53をマークしての4位(当時)に貢献した。その後、優勝したアメリカはメダルを剥奪され、バハマは繰り上がりで銅メダルを獲得した。

2005年

8月、ヘルシンキ世界選手権の男子4×400mリレー決勝でバハマチームの2走を務めると、2分57秒32のバハマ記録(当時)を樹立しての銀メダル獲得に貢献した。

2007年

8-9月、大阪世界選手権の男子400mと4×400mリレーに出場。2003年パリ大会以来の出場となった400mは準決勝を全体8位の44秒86で突破し、タイムで拾われる最後の枠で決勝に進出したが、2001年エドモントン大会以来となった決勝は45秒40の8位に終わった。4×400mリレーでは決勝でバハマチームの1走を務めると、2分59秒18をマークしての銀メダル獲得に貢献した。

2008年

8月、北京オリンピックの男子4×400mリレー予選でバハマチームの2走を務め、2分59秒88をマークしての決勝進出に貢献した。決勝でバハマは2分58秒03をマークして銀メダルを獲得し、予選だけに出場したモンカーも銀メダルを手にした。

自己ベスト

記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、 は追い風を意味する。

主要大会成績

備考欄の記録は当時のもの

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • アバード・モンカー - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)
  • アバード・モンカー - Olympedia(英語)

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