大内 弘直(おおうち ひろなお)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の周防国の武将。大内氏第7代当主大内重弘の子。第8代当主、弘幸の弟。新介、介三郎と称した。
建武2年(1335年)12月、東へ行き新田義貞に従って足利尊氏と戦う。その後周防国に帰国するが、足利尊氏の九州下向に際して摂津助清尊、教乗、小笠原長光らと語らって挙兵する。摂津助清尊らは敷山城(現在の山口県防府市牟礼敷山)に籠城して足利勢と戦うも城は落城して自害、弘直も延元元年(1336年)7月7日死去。『大内系図』では石見国益田大山で上野頼兼と戦って戦死したとある。
菩提寺は周防国吉敷郡上宇野令白石の宝珠山瑞雲寺(現在の山口県山口市龍福寺)、法名は瑞雲寺海浄智。
関連項目
- 鷲頭氏
脚注
注釈
出典
外部リンク
- “周防・敷山城(城郭放浪記)”. PEI. 2017年1月15日閲覧。
- 『敷山城』 - コトバンク
- “周防太平記・敷山城の戦い”. UNIC.LTD.. 2017年1月15日閲覧。
- 近藤清石『大内氏實録』中元壮作、宮川臣吉、山口県山口町、1885年10月28日。 NCID BA33800345。 NDLJP:780384