粟飯原 清胤(あいはら きよたね)は、南北朝時代の武将。生没年不詳。『千葉大系図』によれば、千葉貞胤の弟である粟飯原氏光の子で、父の官途名である下総守を受け継いだ。
略歴
氏光の嫡子として生まれ、足利尊氏から千葉氏13代当主千葉氏胤の後見を託される。興国6年/貞和元年(1345年)8月、千葉氏胤や東常顕ら千葉氏一族と共に天龍寺供養に参加する。 のち正平2年/貞和3年(1347年)1月3日から2年間、幕命により政所執事を勤める。のち正平5年/観応元年(1350年)4月16日厩別当となる。のち佐々木高氏が近江柏原城に蟄居すると、正平8年/文和2年(1353年)1月5日、足利義詮、三宝院賢俊と共に遣わされ、これを諭す。義詮の下でも政所執事を務めたと見なされるが、『常楽記』によると文和2年(1353年)6月9日に京都神楽岡の合戦で戦死した。
脚注
参考文献
- デジタル版 日本人名大辞典 Plus. “粟飯原清胤”. コトバンク. 2018年12月6日閲覧。
- 東京帝国大学史料編纂所編『国立国会図書館デジタルコレクション 大日本史料』 第6編之11、東京帝国大学、1912年3月30日。全国書誌番号:73016128。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782849/22 国立国会図書館デジタルコレクション。