デイビー・アール・ロープスDavid Earl Lopes, 1945年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンス郡イーストプロビデンス出身の元プロ野球選手(二塁手)、野球指導者。右投右打。

経歴

1967年のMLBドラフト8巡目(全体157位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名を受けるもこれを拒否、契約には至らず。翌1968年のMLBドラフト2巡目(全体26位)でロサンゼルス・ドジャースから指名を受け、プロ入り。

ロープスは比較的遅咲きの選手で、メジャーデビューを果たしたのは5年目の1972年、27歳の時であった。マイナーリーグAAA級で104試合に出場の上、.317の高打率を残すとメジャーに昇格。9月22日の対ジャイアンツ戦において「1番・二塁手」で先発起用され、5打数無安打の結果でデビュー戦を終えた。しかし、翌23日は3個の四球を選び、キャリア初盗塁を決めている。更に、24日にはジム・バー投手から初安打となる右前安打を放ち、初得点も記録している。ルーキー・イヤーは出場11試合、打率.214、4盗塁の成績でシーズンを終えた。

翌1973年は開幕戦からベンチ入りし、当初は代打・代走・守備固め等の途中出場が主な使われ方であったが、4月22日に「8番・二塁手」で先発出場すると、5月2日からは1番に抜擢。以後「1番・二塁手」の座を堅守、142試合に出場して147安打を放ち、36個の盗塁を決めるなど、ルーキー・オブ・ザ・イヤー投票の6位にランクイン。レギュラー2年目の1974年には、8月20日のシカゴ・カブス戦で球団レコードの15塁打を記録し(内訳は3本塁打、1二塁打、1単打、チーム全体の48塁打も球団レコード)、24日のセントルイス・カージナルス戦では5盗塁を決めるなど(ナショナルリーグ・タイ記録)、多面的な攻撃能力を実証している。

メジャー4年目の1975年、30歳を迎えたロープスは自己最多の155試合に出場の上、キャリアハイの77盗塁を決めて盗塁王に輝いた。更に、8月9日には32個目の連続盗塁を成功させ、マックス・キャリーが1922年に打ち立てたMLB記録を53年ぶりに塗り替えた。その後、24日にモントリオール・エクスポズの捕手・ゲイリー・カーターに刺されて記録は途絶えたものの、ロープスは38回まで数字を伸ばした。加えて108得点(リーグ3位)、91四球(同5位)、255出塁(同7位)を記録するなど、走塁能力と出塁能力両面において才気を煥発した。更に、翌1976年も63盗塁で2年連続盗塁王に輝いている。

1978年は出場151試合、打率.278、17本塁打、58打点、出塁率.355、45盗塁(3位)、93得点(6位)の好成績を記録し、MVP投票の16位にランクされた他、ゴールドグラブ賞を受賞し、MLBオールスターゲームに初選出された。なお、ロープスはこの年から1981年まで4年連続でオールスター出場を果たしている。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは、6試合に出場して3本塁打、7打点を叩き出したがチームは敗退。34歳になる翌1979年も153試合に出場して打率.265、28本塁打(8位)、73打点、出塁率.372、OPS.836、44盗塁(3位)、97四球(3位)、255出塁(7位)、109得点(3位)、RC113(8位)の好成績を収めた。ナ・リーグの二塁手で28本塁打を放ったのはロープスとロジャース・ホーンスビー、デーブ・ジョンソン、ジェフ・ケント、ライン・サンドバーグ、フアン・サミュエル、チェイス・アトリー、ダン・アグラのみであり、この1979年がロープスのキャリア・イヤー、ベスト・シーズンと考えられている。更に、野球ライター兼野球史研究家・野球統計学専門家であるビル・ジェームズによれば、ゴールドグラブ賞受賞は前年ではなく本年の方がより相応しい、と述べている。

プロ14年目、メジャー10年目の1981年は58試合の出場に留まり、バッティングに関しても.206の低打率に終わった。ポストシーズンでは10盗塁を記録するも、当時21歳の新鋭スティーブ・サックスが順調に成長を続けていたことから、既に36歳になっていたロープスはオークランド・アスレチックスへと放出されることになった。なお、ロープスの後継者に指名されたサックスは、翌1982年に「1番・二塁手」のレギュラーに収まり、150試合に出場の上、打率.282、49盗塁の数字を残し、オールスター選出とルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞を遂げている。

ドジャース時代のロープスは1番打者であったが、アスレチックス移籍1年目の82年は、主に6・7番の下位打線を務めることが多くなった。この年、メジャー4年目で当時23歳のリッキー・ヘンダーソンがシーズン130盗塁のMLB記録を樹立、ロープスも28盗塁を記録して、二人だけで158個の塁を盗んだ。ヘンダーソンは以後も盗塁数を積み上げ、通算1406盗塁の金字塔を打ち建てたが、「バッテリーの配球と球種を先読みして走るスキルはデービーに習ったんだ」と後に回顧している。以後、ロープスはシカゴ・カブス、ヒューストン・アストロズを渡り歩き、1987年オフに戦力外通告を受け引退。なお、40歳になる1985年は47盗塁、翌1986年には25盗塁と、晩年まで出群のスピードとクイックネスを維持していた。

1988年以降はテキサス・レンジャーズ、ボルチモア・オリオールズ、サンディエゴ・パドレスの一塁コーチ、ベンチコーチを歴任。1999年11月4日にミルウォーキー・ブルワーズの監督に就任、翌2000年から2002年までの成績は144勝195敗(勝率.425)。同年4月18日、15ゲームを消化した時点で解雇され、ジェリー・ロイスター・コーチが監督代行になった。2003年から2005年まではパドレス、2006年はワシントン・ナショナルズの一塁コーチを勤め上げ、同年10月16日にフィラデルフィア・フィリーズの一塁コーチ兼外野守備/走塁インストラクターに着任し、2010年まで在籍。2011年より5年間ドジャースの一塁コーチを務め、2016年より2年間ナショナルズの一塁コーチを務めた。

選手としての特徴

スピードとパワーを兼備する多面的攻撃型プレーヤーであり、主に一番打者として活躍した。そして、16シーズンに及ぶ現役生活において通算557盗塁、成功率83%の数字を刻み、「MLB史上有数のベスト・ベース・スティーラー」と評される。なお、ロープスはバッティング・グローブをほとんど着用せず、もっぱら出塁した時に限り手袋をはめていた。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備
外野守備
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞

タイトル

  • 盗塁王:2回(1975年、1976年)

表彰

  • ゴールドグラブ賞(二塁手部門):1回(1978年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:4回(1978年 - 1981年)
  • 通算557盗塁(2020年終了時点でMLB歴代26位)、成功率83.0%
  • 38連続盗塁成功 - 1975年当時のMLB記録。1989年にビンス・コールマンが50まで数字を伸ばし、塗り替えた。
  • ドジャース在籍時の413盗塁は、モーリー・ウィルスの490個に次いで球団歴代2位。

背番号

  • 15(1972年 - 1984年途中、1985年 - 1986年途中、1986年途中 - 1987年、1989年 - 1994年、2007年 - 2010年、2011年途中 - 2017年)
  • 12(1984年途中 - 同年終了、2011年 - 同年途中)
  • 11(1986年途中 - 同年終了)
  • 14(1988年、1995年)
  • 42(1996年 - 1997年)
  • 24(1998年、2003年 - 同年途中)
  • 30(1999年 - 2002年)
  • 27(2003年途中 - 2004年途中)
  • 25(2004年途中 - 2005年)
  • 5(2006年)

脚注

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 L
  • メジャーリーグベースボールの監督一覧
  • ミルウォーキー・ブルワーズの歴代監督一覧

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com

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