山名 豊就(やまな とよなり)は、江戸時代中期の交代寄合。
経歴
山名氏一族の山名義豊の三男(山名豊政の孫)。山名隆豊の養子となった。宝永元年(1704年)、養父の隠居により家督を相続した。大番頭を勤めた後、元文4年(1739年)3月15日、寺社奉行に就任し、没するまでその任を勤めた。同年10月、領内で小代一揆(元文一揆)が起ったが、百姓の多くの要求を聞き入れたため解決した。延享4年(1747年)に62歳で死去し、嫡男の山名豊暄が家督を継いだ。
系譜
- 父:山名義豊(1623-1695)
- 母:不詳
- 養父:山名隆豊(1669-1718)
- 正室:屋代忠位の娘
- 生母不明の子女
- 男子:山名豊寛 - 早世
- 男子:山名豊暄(1714-1769)
- 男子:山名豊知
- 男子:山名豊陽
- 男子:喜蔵
- 男子:佐助
- 男子:山名季豊 - 高林昌盈。高林昌雄の養子
- 女子:山名義安室
- 女子
- 女子
娘は3人いた。娘の一人は高家旗本の六角広雄と婚約したが、入嫁前に広雄が死去したことにより縁談は消え、一門(分家)旗本の山名義安の室となった。末子の季豊は、旗本・高林昌雄の養子となり、高林昌盈と改名し、のちに家督を相続した。