大久保 教翅(おおくぼ のりのぶ)は、駿河松長藩の第5代藩主、のちに相模荻野山中藩の初代藩主。荻野山中藩大久保家5代。
生涯
松長藩主
明和2年(1765年)、初代松長藩主・大久保教寛の四男・大久保教平の子で3000石を領した旗本・大久保教近の長男として生まれる。安永2年(1773年)に本家筋にあたる第4代松長藩主・教倫が嗣子無くして死去したため、その養子として家督を継いだ。天明2年(1782年)12月、従五位下、中務少輔に叙任される。天明3年(1783年)10月6日、陣屋を松長から荻野山中に移す(荻野山中陣屋)。荻野山中藩の初代藩主となり、同時に参勤交代義務化の大名となった。
荻野山中藩主
荻野山中に移った後、苦しい藩財政を再建するため、倹約や知行借上げなどを積極的に行なうが、効果はなかった。ほかにも学問・武芸を奨励している。
寛政8年(1796年)7月9日に死去した。享年32。跡を長男・教孝が継いだ。
系譜
父母
- 大久保教近(実父)
- 松浦到の娘(実母)
- 大久保教倫(養父)
正室
- 貞光院 ー 前田利尚の娘(後に離婚)
子女
- 大久保教孝(長男)
- 田中勝豊の養女
- 中川忠昌室