竹葉瀬(たかはせ)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物。表記は「多奇波世」「竹合」とも。また氏の名を冠して「上毛野竹葉瀬」「上毛野竹合」とも。

上毛野君の祖で、仁徳天皇(第16代)の時に朝鮮へ派遣されたという武将である。

記録

『日本書紀』仁徳天皇53年5月条によると、新羅に派遣され、新羅が朝貢しないことを問責したという。その途上では、白鹿を獲たので天皇に献上したのち新羅へ向かったと記される。また、のちに新羅と戦った上毛野田道の兄という。

後裔氏族

『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。

  • 皇別 左京 上毛野朝臣 - 下毛野朝臣同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。(以下略)。
  • 皇別 左京 住吉朝臣 - 上毛野同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。
  • 皇別 左京 池原朝臣 - 住吉同氏。多奇波世君の後。
  • 皇別 左京 桑原公 - 上毛野同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。
  • 皇別 左京 川合公 - 上毛野同氏。多奇波世君の後。
  • 皇別 左京 商長首 - 上毛野同氏。多奇波世君の後。三世孫・久比、(以下略)。

『日本書紀弘仁私記』序には「諸蕃雑姓」に注として、

「田辺史、上毛野公、池原朝臣、住吉朝臣らの祖、思須美(しすみ)、和徳(わとく)の両人、大鷦鷯天皇(おおさざき-、仁徳天皇)御宇の年、百済国より化来す。しかして言うに、おのれらの祖、これ貴国将軍上野公竹合(たかはせ)なりといえり。天皇、矜憐して彼の族に混ず。しかして、この書に諸蕃人(= 渡来人)というなり。」

とあり、田辺史・上毛野公・池原朝臣・住吉朝臣4氏が百済からの渡来人でありながら、竹葉瀬の後裔を仮冒したことがわかる。

考証

『日本書紀弘仁私記』にあるように、竹葉瀬を祖と仮冒する渡来人グループが形成されていた。ここから、上毛野氏が文化・軍事両面において対朝鮮の交渉に携わっていたことが示唆される。

脚注

参考文献

  • 「竹葉瀬」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。 

関連項目

  • 上毛野氏

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