松下 哲成(まつした てつなり、安政3年2月22日(1856年3月28日) - 昭和3年(1928年)1月18日)は日本の実業家、政治家。鳥取県西伯郡境町長、境町会議員、郡会副議長、境町学務委員。伯州境港の豪商。
経歴
境町に生まれた。吉三郎の四男。幼名を虎之助と称す。夙に算数の術に長ず。
年甫二十五歳の時、厳君の許容を得、資を分つて同町に分家を創立し鉄石油商を開始した。
日本海上火災保険等の代理商を営むほか、ニューヨークスタンダード石油等の販売商として手広く商いに励み、その傍ら政治にも関心をもった。
若くして町会議員に立ち、町長就任時には郡会副議長の要職にあった。
大正3年(1914年)町の将来的発展と貨客の便を図るため、境駅を現在地に移し、お台場までの中心道路新設改修を計画、一部竣工させた。
家族・親族
松下家
- (鳥取県西伯郡境町栄町(現境港市)
- 男・道蔵(政治家)
脚注
外部リンク
- とっとりデジタルコレクション--松下哲成
- 深田豊市 編『島根鳥取名士列伝. 下』松下 哲成君傳