ルキウス・アプスティウス・フッロ(ラテン語: Lucius Apustius Fullo、生没年不詳)は紀元前3世紀中期から後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前226年に執政官(コンスル)を務めた。

出自

プレブス(平民)であるアプスティウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウス、祖父はガイウスである。コグノーメン(第三名、家族名)の「フッロ」はラテン語で「歩く人」を意味し、おそらく一族の職業と関連していると思われる。

フッロは氏族としては唯一の執政官である。その後の数十年間、何人かのアプスティウス氏族の人物が歴史に登場している。紀元前196年の法務官(プラエトル)ルキウス・アプスティウス・フッロは、おそらく息子である。第二次マケドニア戦争中の紀元前200年に執政官プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムスがルキウス・アプスティウスに軍の一部を率いさせたという記載がある。彼は紀元前190年にリュキアの戦いで戦死している。紀元前161年には、キュレネとプトレマイオス8世への使節の一人にプブリウス・アプスティウスの名前がある。

経歴

紀元前226年、フッロは執政官に就任。同僚執政官はマルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラであった。但し、両者の執政官としての業績は不明である。

メッサッラと同様に、フッロも第二次ポエニ戦争に出征したと思われる。ティトゥス・リウィウスは、紀元前215年にタレントゥム(現在のターラント)を守備するレガトゥス(司令官)として、ルキウス・アプスティウスの名前を記録しているが、これはフッロのことと思われる。

脚注

参考資料

古代の資料

  • カピトリヌスのファスティ
  • ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
  • ポリュビオス『歴史』

研究書

  • T. Robert S. Broughton : The Magistrates Of The Roman Republic. Volume 1: 509 BC - 100 BC (= Philological Monographs Vol. 15, Part 1, ZDB- ID 418575-4 ). American *Philological Association, New York NY 1951, p. 229, 256, (Unchanged reprint 1968).
  • Hans Georg Gundel : Apustius. In: The Little Pauly (KlP). Volume 1, Stuttgart 1964, Sp. 474.
  • Elimar Klebs : Apustius 4 . In: Pauly's Realencyclopadie der classischen Antientwissenschaften (RE). Volume II, 1, Stuttgart 1895, Sp. 291 f.

関連項目

  • 共和政ローマ執政官一覧
  • 第二次ポエニ戦争

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