瀬名 貞雄(せな さだお)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・故実家。武家故実・歴史・地理に関する著作をおこなった。『藩翰譜続編』の編纂や、大田南畝との『瀬田問答』で知られる。号は狐阡軒(こせんけん)。
生涯
旗本瀬名俊光の子として生まれる。諱ははじめ弌福(かずまさ)。
延享4年(1747年)11月29日、父の隠居により家督を継ぐ。寛延元年(1748年)3月28日、徳川家重に初謁。同年5月10日に大番となり、天明2年(1782年)7月6日まで務める。
寛政元年(1789年)8月26日、奥御祐筆組頭格となり、同年12月16日に布衣をゆるされる。平岡資模の『御九族記』編纂に関与し、『御九族記』完成後の寛政2年(1790年)5月22日にこれが賞されて時服2領を賜る。『藩翰譜続編』の編纂も進めたが、完成を見ることはできなかった。
寛政8年(1796年)10月12日、老齢を理由として職を辞し、旗本寄合席に列する。このとき、時服3領を賜る。『寛政譜』によれば同年11月17日死去。享年81。ただし『朝日日本歴史人物事典』によれば10月4日没とある。
著作
『
このほか代表的著作として『今川家式』『武家職掌分類』『江戸割絵図』『改撰江戸志』『関東補任記』などが挙げられる。
瀬名家は遠江今川氏の一族(今川貞世の末裔)にあたり、明和2年(1772年)には今川一族の由緒を記した「今川一苗之記」(内閣文庫蔵)を著している。
系譜
- 父:瀬名俊光
- 母:瀬名弌明の養女(実父は瀬名氏明)
- 妻:一橋家侍女・堀井の養女
- 長男:瀬名貞如
- 生母不明の子女
- 女子:飯室昌許(仙太郎)の妻
- 二男:瀬名貞恒 - 孫松、幸之丞。村嶋清三郎猶脩の養子となるが、病のため実家に戻される。
補足
- 瀬名家は瀬名弌明(幕臣としての3代目)が瀬名氏明(甚五郎。土屋知義の子)を婿養子に迎えていたものの、氏明は父に先立った。氏明には娘が2人あり、うち1人が弌明の養女との形式をとり、瀬名俊光(久保辰房の子)が婿養子に入った。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第九十五「瀬名」
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) NDLJP:1082717/1/282
外部リンク
- 瀬田問答 - 国立公文書館