鍋島 直澄(なべしま なおずみ)は、江戸時代前期の大名。肥前国蓮池藩初代藩主。官位は従五位下、甲斐守。
略歴
肥前佐賀藩主・鍋島勝茂の五男として誕生した。
兄の忠直の死後、その未亡人を娶った経緯から、鍋島宗家の家督相続の候補者に推されたが、継ぐことはできなかった。
寛永15年(1638年)、天草・島原の乱から帰参すると、父の勝茂は佐賀城本丸に入り、自らは三の丸に入った(兄の元茂は西の丸に入った)。
寛永19年(1642年)、肥前国蓮池藩に5万2000石を与えられ初代藩主となった(立藩年次については異説あり)。
寛文5年(1665年)に塩田吉浦館へ隠居し、家督を次男の直之に譲る。寛文9年(1669年)3月5日、病のため塩田吉浦館で没した。
遺命により遺骨は吉浦至誠山、慶誾寺、潜龍寺(のちの宗眼寺)に分けて納められた。
系譜
父母
- 鍋島勝茂(父)
- 高源院 ー 徳川家康の養女、岡部長盛の娘(母)
正室
- 牟利姫、恵照院 ー 松平忠明の娘
側室
- 安樹院 ー 伊香賀貞知の娘
子女
- 鍋島直守(長男)
- 鍋島直之(次男)生母は恵照院(正室)
- 鍋島之治(三男)
- 鍋島之映(四男)
- 鍋島直称(五男)生母は安樹院(側室)
- 鍋島之徳(六男)
- 於千代、宝善院 ー 鍋島直條正室、鍋島光茂の養女
- 松平好房正室
脚注
注釈
出典
関連項目
- 千々石五郎左衛門